宅見将典さんは第65回グラミー賞でアルバム『SAKURA』が、最優秀グローバル・ミュージック・アルバム賞を受賞しましたね。
しかし、意外と宅見将典さんをご存じない方も多いかもしれません。
なので、宅見将典さんのプロフィールや経歴や学歴(出身高校・大学)をお伝えさせていただきたいと思います。
また、宅見将典さんがグラミー賞の受賞までのエピソードも。
今回は宅見将典さんのwiki風プロフィールや経歴、グラミー賞を受賞までのエピソードもあわせてお伝えさせていただきますのでご覧ください。
宅見将典のwiki風プロフィール!
- 名前:宅見 将典(たくみ まさのり)
- 生年月日:1978年11月14日
- 年齢:45歳(2024年10月現在)
- 職業:作曲家
編曲家
音楽プロデューサー
ギタリスト
ドラマー
マルチプレーヤー - ジャンル:J-POP
アニメソング
サウンドトラック - 出身地:大阪府
宅見将典の経歴&学歴!
では、宅見将典さんの経歴や学歴を見てみましょう。
宅見将典の出身大学とは!
牛田茉友さんの阪大と同じ大阪市の大学(相愛大学)
— みゆき (@WTRJzwcKcpUhrkZ) February 5, 2023
出身の宅見将典さんがグラミー賞受賞です。
宅見将典さんの出身大学は相愛大学という情報がありました。
こちらの相愛大学には音楽部音楽学科があり、その中にも、
- 演奏コース
- 音楽文化創造コース
- 特別演奏コース
などがあり、各コースには様々な専攻もある音楽に特化した学部があるんです。
もともと音楽が好きだったであろう宅見将典さんにとっては、理想の大学だったのかもしれませんね。
この相愛大学で学んだことが世界の宅見将典さんの原点なのかもしれません。
宅見将典の出身高校とは!
宅見将典さんの出身高校は今のところ公表されていなくて情報はない状態です。
ですが、宅見将典さんの出身は大阪市。
そして相愛大学の学生の出身高校で一番多いのが、大阪市中央区にある相愛高等学校です。
そう考えると、宅見将典さんの出身高校は相愛高等学校の可能性がありますね。
特定できる有力情報があれば追記させていただきます。
宅見将典 1999年デビュー!
宅見将典さんは1999年21歳の時、ロックバンド「Siren」でドラマーとしてデビュー。
また、同じ年に篠原ともえのシングル「I wanna say to…」で作曲家デビューされています。
2000年から2003年にかけて「Siren」でシングル5枚、アルバム1枚をリリースし、全国ライブツアーを展開されています。
宅見将典 2003年「Siren」脱退し作曲家に!
2003年に宅見将典さんは「Siren」を脱退し、作曲家・プロデューサーとしての活動を開始されます。
脱退後は、アーティスト・アイドル・声優・アニメ/ゲームソングの制作に携わっています。
そして、2011年には『日本レコード大賞』で優秀作品賞を受賞。
曲は、
ほかにも、EXILE・KARA・西城秀樹.etcなどなど。
ちなみに西城秀樹さんは宅見将典さんの叔父にあたります。
そんな、J-POPの王道を走っていたと言えるでしょう。
そして、2011年グラミー賞「レゲエ部門」ノミネートされることに。
宅見将典 2011年グラミー賞「レゲエ部門」ノミネート!
宅見将典さんは2011年『第53回グラミー賞レゲエ部門』でノミネートされたんです。
この時のノミネートは、レゲエのリズムセクション「Sly & Robbie」のアルバム『One Pop Reggae』という作品です。
これにアディショナルミュージシャン(参加ミュージシャン)として関わったことでノミネートされ、ラッキーだったと語っています。
そして、その経験はいつか自分の曲でグラミー賞にと野心が芽生えたようです。
そして最初に始めたのが英会話です。
宅見将典 まずは英語から勉強開始!
2011年のグラミー賞ノミネートをきっかけに、再びこの大舞台に戻ってくると固く決意を決めた宅見将典さん。
日本に帰ってすぐに英会話教室に通っていますが、やはり現地に行こうと思い2012年に学生ビザで短期留学しています。
でも、なかなか上達せずに半分あきらめていたそう。
それでも、毎年2か月ほどはロサンゼルスに通うようになり、英語の勉強や人とのふれあい、文化に触れるようにされていました。
そして2013年、大きな出来事が!
宅見将典 2013年グラミー賞の会員に!
2013年の『第56回グラミー賞』で、「Sly & Robbie」のアルバム『REGGAE CONNECTION』に
ギタリスト・キーボーディストとして全曲に参加。
そのおかげで、正式な形でノミネーションされレッドカーペットの上を歩くことができました。
そこで、ノミニー(候補者)としての称号とメダルをもらい、なにより大きいのはグラミー賞の会員になれたということです。
グラミー賞の会員になると、
・投票権がもらえる!
・自分の作品をエントリーできる!
自分の作品がエントリーできるていうのが本当に大きいですね。
宅見将典さんは自分でグラミー賞を引き寄せていますね。
そして、2023年とうとうその時は訪れました。
宅見将典 『SAKURA』がグラミー賞にノミネートされる!
宅見将典さんは、2022年に『SAKURA』をリリースしています。
そして今回の、『第65回グラミー賞』にノミネートされ話題になりました。
カテゴリーは「グローバル・ミュージック」。
以前はまでは、「コンテンポラリー・インストゥルメンタル」というカテゴリーだったのを思い切って変えています。
それが、よかったと宅見将典さんは語っていますね。
宅見将典 グラミー賞『最優秀グローバル・ミュージック・アルバム賞』受賞!
2023年2月6日とうとうその日がやってきました。
日本時間6日『SAKURA』が『最優秀グローバル・ミュージック・アルバム賞』を受賞する快挙を達成しました。
素晴らしいです!
10年以上グラミー賞に挑戦し続け、グラミー賞を受賞されたことに感服です。
宅見将典さんは以前から、作曲家として、
という曲が欲しかったと語っています。
まさに「自分はこれです!」といえる今回の快挙本当に良かったです。
宅見将典のグラミー賞を受賞までのエピソード!
宅見将典さんのグラミー賞までのお話はさせていただきました。
次は、そのかんにあったグラミー賞までのエピソードをお伝えさせていただきます。
そこには果敢な挑戦がありました。
宅見将典エピソード①「Sly & Robbie」のアルバムに関わったきっかけ!
宅見将典さんが2011年グラミー賞にノミネートされたきっかけは「Sly & Robbie」のアルバムに参加したこと、
それは、昔からよくしてくれていた音楽プロデューサーのおかげだったんです。
ある日、
「この曲でギターを弾いてほしい」
と、頼まれわけもわからず引いたそう。
そしてふたを開けたら、その曲が「Sly & Robbie」の曲だったそうで聞いたときには驚いたと語っています。
その音楽プロデューサーは「Sly & Robbie」のエグゼクティブプロデューサーだったそうです。
そうですよ。
宅見将典エピソード②グラミー賞を目指すようになったきっかけ!
宅見将典さんは、先ほどの2011年の「Sly & Robbie」のノミネートでチケットをもらったので、せっかくだからと現地に行き授賞式に参加。
そこで、本場のエンターテインメントを目の当たりにし、衝撃を受けたといいます。
そして、
と、再びこの大舞台に戻ってくると固く決意を決めます。
この決意が、大きく宅見将典さんの音楽人生を変えたものだと思います。
宅見将典エピソード③ 初の自身でエントリー!
2013年にグラミー賞の会員になったことで自分の曲をエントリーできるようになりました。
そして2016年、宅見将典さんは、ソロ1枚目となった『Stars Falling』をリリース。
この曲が自身で初のグラミー賞にエントリーした曲です。
アメリカでの反応も良かったそうで、もしかすると…という思いもあったと言います。
ですが、『Stars Falling』はノミネートされませんでした。
その後も毎年エントリーをされています。
あきらめることなく果敢に挑戦されていますね。
宅見将典エピソード④悔しくてアメリカに移住する!
自分の曲をエントリーしたもののノミネートされなかったのはやはり悔しかったそうで、Facebookに、
「悔しいから、もう移住します!」
と投稿。
その手前もあり、2017年にアーティストビザを取得。
2018年初めにロサンゼルスに移住されています。
そして2022年のエントリーでやっとの思いでグラミー賞にノミネートされたんですね。
宅見将典さんはグラミー賞のために人生をかけて音楽活動をされていたことがよくわかりますね。
宅見将典のwiki経歴&学歴!グラミー賞までのエピソード!まとめ!
今回は宅見将典のwiki経歴&学歴!グラミー賞までのエピソードをお伝えさせていただきました。
それにしても、目標を達成された宅見将典さんって凄い方ですね!
同じ日本人として、とてもうれしい出来事でした。
あきらめずに夢に向かって進む生き方とても素晴らしいです!
まだまだこの先も、挑戦し続けるのでしょうね。
さらなる活躍を期待しています。
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